2015年7月9日木曜日

あなたの唇はあなたの鎖骨より上にあるのよ

この度は幸運な事に、来日中のキャシーマデンさんのクラスに参加させて頂くことができました。

トレーニーの思い込み、悩み、勘違いを見抜き、
時にはビックリするようなアイデアで新たな気づきを促してくれます。

最近私は、立って吹くときの股関節の自由さが、
座って吹くときよりも曖昧なのが気になっていて、
その事について実際に楽器を吹いているところを見て頂きました。

頭が動いて、自分全体がついてきて、と思って楽器を演奏しはじめます。

するとキャシーさんは

「音楽を演奏しているときは忙しくて股関節のことなんていちいちかまってられないの」と。

ごもっともです。

アレクサンダー・テクニークを学べば学ぶほど、

『自分はどのような音楽がしたいのか、どんな音が出したいのか』

といった類いの、

『自分で考えて感じた本当に自分がしたいこと』

がいかに大事であるかということに痛いほど気づかされます。

問題だと思っていることを部分的に直接的に対処しようとしても、
根本的な解決にはならず、いずれ行き詰まります。

そこから脱け出すためには全く違うアイデア、上位概念が役に立ちます。

今回の私の場合、
『股関節が不自由だなあ』
という問題には、
全く想像もつかなかった創造的な助言が、大きな大きな気づきを与えてくれました。

「あなたの唇は、あなたの鎖骨より上にあるのよ」

最初聞いたときは「え?当たり前でしょ?」

と思ったのですが、
キャシーさんの手によってサポートして貰いながら楽器を持ち上げてみるとあら不思議。

違和感満載の楽器の軽い持ち心地と、息の吸いやすさ。

「あなたの唇は、あなたの鎖骨より上にあるのよ」

唇にマウスピースを持ってくるとき、マウスピースは鎖骨より上に行く必要があります。

その時、鎖骨自体も動いていいんだということに気づいたわけです。

近頃、楽器の角度を自由自在に変えたり、

プレスの強さを色々変えたりすることを探究していて、

肘関節肩関節上腕二頭筋三角筋ばかりに注目し、

「余計な動きはしません」

という思考から、

結果的に肩甲骨や鎖骨の動きを制限し、

マウスピースを頭の押し下げによって迎えに行くという、

典型的なパターンに陥っていました。

無意識に鎖骨より下の方向へ、唇を持っていこうとせざるを得ない状態だったわけです。

「鎖骨が動いてもいい」と体感して気づくだけで、これらのことが一瞬で解決してしまいます。

おまけに、肺のてっぺんは鎖骨より上にあるのを明確に思いだし、肺が大きくなった気分。

「股関節が不自由だ」

と思っていたことが、

「鎖骨も動いて良いんだ」

ということに気づかせて貰ったおかげで、

「頭の押し下げ」

が軽減され、楽器も軽くて、息も吸いやすく吹いていると、

「今あなたの股関節は自由よ」




『ぁ゛!』




という、とぼけた私の返事に一同爆笑

と相成りました。

本当に頭の動きが、

全身の動き、思考

にも影響を与えていることを体感させてもらえた、素晴らしい時間になりました。

お見事としか言い様のない、バッチリな整いっぷりに脱帽です。

めでたし、めでたし。

あー楽しかった!












2015年4月14日火曜日

子育て、レッスン、コーチング

新年度最初のクラスで一人一人が自分自身の望み

(どんなアレクサンダー・テクニーク教師になりたいか?)

について考える時間がありました。


ただ漠然と「レッスンに来て下さった方に喜んで帰って頂きたい」

と思ってはいたのだけれど、

最近考えていた、「子育て」と「レッスン」と「コーチング」の共通点や、


アレクサンダー・テクニークとの繋がりについて



むくむくと望みが沸き上がってきました。



一人でも多くの大人「親」「教師」「上司」「先輩」が

子育て(他人の子供も自分自身を育てることも含む)、


レッスン(人にものを教えたり、それについて勉強したり)、



コーチング(クライアントの話をよく聴き承認し、気付きを与えて行動を促す)、






に興味を持ったら、平和な世の中になるのではないか?



それにはアレクサンダー・テクニークが使えるのではないだろうか?



3年前にアレクサンダー・テクニークのレッスンを10回連続で受けたときのレポート


私はこんなことを書いていました。

アレクサンダーテクニークは、ただ楽器が上達するという次元のものではなく、人々を怒りや恐れから遠ざけ、差別や戦争のない世界を作り上げれるものかもしれません。まずは自分が変わり、その背中を娘に見せたいと思います。


本当にそのとおりじゃないだろうか?


5000年後、1万年後、には

「昔は戦争なんてものがあったんだってー」

「へー、野蛮だねー!」


なんて会話があるかもしれない。



望み続ければ進化するのではないか?


そのための一歩に私はアレクサンダー・テクニークを学びたい。









勿論、楽器がうまくなりたくて、教えるのもうまくなりたいです(笑)

今後とも宜しくお願い申し上げます!






























































2015年1月26日月曜日

先日の鈴木重子先生のクラスで、

先生自身のウォームアップを紹介して頂いて、

みんなでやってみるという、かなり興味深く有難い体験をしました。

歌と管楽器はほとんどといっても良いくらい身体の使い方は共通していて、

歌手から学ぶことは山のようにあり、憧れもあります。

僕自身、生まれ変わったら、

「リトルマーメイドのセバスチャン」

「アラジンのジーニー」

「美女と野獣のルミエール」

になりたいと結構本気で思っています。

3人の人柄に惚れ込んでいるのも理由です。

さて、

ウォームアップの趣旨は

空気を送ることに目覚めてもらう

ということと

舌、顎、口、喉などの筋肉に目覚めてもらうこと。

そのなかで、身体の色んな部分を振動させて、振動しやすい身体にしていきます。

(合わせシンバルを鳴らす前にちょっとシンバルを振るわせておくのに似てるでしょうか?)

まず、仰向けに寝て膝を軽く立てます。

暫く、ただただ呼吸を観察します。

ほんとうに、ただ観察するだけです。

好きなだけ観察したら、今度は息を吐ききって暫く止めます。

暫く止めたら口と鼻を同時にゆるめて息が入ってくるのを許します。

これも好きなだけ。

そうしたら今度は自分に優しくハミング。

サイレンのように上がったり下がったり。

好きなだけ。

今度は舌を前後に動かしながらハミング。

その後は起き上がって、歩きながらハミング。

「ウ」で歌う。

唇をぶるぶるしながら歌う。

声帯が強く閉じられているような「ア゛ー」で歌う。

「狼の遠吠え」。

「猫の鳴き声」鼻にかかった声。

「狂ったオペラ歌手」。

「S」の子音で。

壁にくっついて、壁の振動を観察する
「壁とデュエット」。

などなど、面白がりながら、

それぞれの順番も長さも自由に行っているそうです。

各エクササイズは、身体のそれぞれの部分や機能を観察しやすい形になっていて、

僕自身とても興味がある「ヴォイシング」も網羅していそうです。

みんなでウォームアップしている時に、重子先生が

「舌が引っ込んでいたら、前にもいけるよー」

とおっしゃっていたので、

少し気になったのでクラスが終わったあとに質問に行きました。

皆さん楽器を吹いていて、舌が引っ込んでいること、ときどき有りませんか?

なんか舌に力みがあって、スムーズに動かなかったり。

トランペットの場合、舌が力んだり、引っ込んだりしていると、

高い音がしんどい、タンギングがおそい、音がこもる、バテる。

みたいなことになります。

そうさせているのは自分自身なんですけど。

重子先生には

「我々はどうして舌を引っ込めちゃったり、力んだりしちゃうんですか?」

と質問しました。

すると、

「理由はいくつかあって、それらが複合的に舌の状態を作り出している」

ということ。

まず、

『息が足りていない』

舌や喉で代用して何らかの圧力を作り出そうとしている結果、舌が力んだり引っ込んだりする。

そして

『舌のある場所の勘違い』

奥のほうに舌があると思っていると、舌が力んだり引っ込んだりする。

そして、そして

『舌を前に出す筋肉が舌の根元のほうにあると思っちゃってる』

正しくは舌のすぐ下。僕の場合、これを知っただけでタンギングが速くなりました。

一番びっくりで納得してさすがだなと思ったのは

『軟口蓋(のどち〇このあたり)が柔らかく使えていないのに、柔らかく使っているときのような音色を求めたとき』

例えばわざと音を籠らせたり、

わざとバッチくならないようにその場をしのいだり、

ダブル、トリプルタンギングがずっと続いて自滅したり(軟口蓋が柔らかく使えていないと、Kタンギングを力ずくでやることになりそう)

っていうときは舌が力んだり引っ込んだりしています。

舌だけにフォーカスして考えましたが、

実は舌は、喉や、呼吸筋や、腕とも繋がっていて、

色んなことが絡み合ったその結果、

舌に不都合な真実が現れるわけです。

じゃあどうすりゃいいのよってなりますよね。

やっぱりそういうときは

「頭が動いて、身体全部がついてくる」

「頭と脊椎の関係性をおねがいして」

「私の首はどれくらい楽だろうか?」

という

アレクサンダー・テクニークを使って、

実験、観察です。

重子先生の豊富な知識、深い探究心、考え抜く力、

そして何にも執着していない、自然で優しい声に感服いたしました。

ありがとうございました!

2014年12月16日火曜日

私の首はどれくらい楽だろうか?

来日中のミオ先生。

教師養成コースのクラスと個人レッスンを受けました。

教えてもらったのは「3つの質問」。

1.How EASY is my neck?
私の首はどれくらい楽だろうか?

2.What happens to me when I ask my self
How EASY is my neck?
私の首はどれくらい楽だろうか?と自分自身にたずねたとき、何が起きるだろうか?

3.What happens to the EASE in step2
when I do my activity.
自分の動きをしたとき、ステップ2の楽さに何が起きるだろうか?

この「3つの質問」はシンプルだけれども考えに考え抜かれ、
アップデートを繰り返し今に至り、
今後も言葉は変わっていくかもしれません。

しかしコンセプトは変わりません。

それは『「楽さ」に気づく』ということ。

まずはステップ1

1.How EASY is my neck?
私の首はどれくらい楽だろうか?

ただ単に自分自身にたずねます。アレクサンダー・テクニークで繰り返し使われる

「頭が動けるように」とか
「頭が動いて、身体全部がついてきて」とか
「頭と脊椎の関係性をお願いして」とかと同じです。

本当に、ただただ、自分にたずねるだけです。

次にステップ2

2.What happens to me when I ask my self
How EASY is my neck?
私の首はどれくらい楽だろうか?と自分自身にたずねたとき、何が起きるだろうか?

ステップ1の質問をうけて、自分自身に何が起きるかただ観察します。

「股関節が弛んだ!」とか

「膝が楽になった!」とか

「背がギュッと縮んでたのが、ふわっと元に戻ったみたい!」とか

なんでも良いのです。

もちろん、

「腕に力が入ってる!」とか

「喉が苦しい」とか

「背中が痛い」など

「楽さ」じゃないことに気づいて、意識がどんどんそっちにいってしまうこともあるでしょう。

というか、そっちの方が馴染み深いですよね?

でも大丈夫。

質問は

What happens? (何が起きるだろうか?)

だから。

「楽さ」じゃないことに気づいたら、ステップ1に戻ります。

また、「こう感じなければならない」とか

「楽さを見つけなければならない」とあれこれ思うのも、
質問の答えになっていませんのでステップ1に戻ります。

ただただ、何が起きるか観察します。

そしてまた、何も気づかないという場合でも大丈夫。

ステップ1に戻ります。


ステップ2で「楽さ」に気づけたら、ステップ3

3.What happens to the EASE in step2
when I do my activity.
自分の動きをしたとき、ステップ2の楽さに何が起きるだろうか?

自分の動きとは、

楽器ケースを開けたり、楽器を構えたり、楽器を演奏したりする行動の事です。
何にでも使えます。

「楽器ケースを開けたとき、さっき弛んだ股関節に何が起きるだろうか?」

「楽器を構えるとき、さっき楽になった膝に何が起きるだろうか?」

「楽器を演奏するとき、さっきのギュッと背が縮んでたのが、ふわっと元に戻った事には何が起きるだろうか?」

ここでもまた、

What happens? (何が起きるだろうか?)

です。

ただただ観察します。

そして、

「楽さ」が続いたのであれば、

おめでとうございます。

「楽さ」がなくなったのであればステップ1に戻ります。

この「3つの質問」を繰り返すことで、

自分自身にアレクサンダーテクニークのレッスンをしていることになるそうです。

『自分の身体に何が起きるかみてみるゲームだ』

ミオ先生は仰いました。



「3つの質問」の言葉や、

ステップを踏む形になっていることは、

機能脳科学みたいな分野に関わっていそうな感じもするし、

ただ観察することは

お釈迦様の足跡の様にも見えます。

本当に不思議で面白い、素晴らしい体験になりました。

ミオ先生、ありがとうございました!








2014年11月1日土曜日

絶対に動いちゃいけない状況なんて無い

先日のアクティビティレッスンで私は、

「絶対に動いちゃいけない状況ではどうしたら良いですか?」

と質問しました。

そうすると、ジェレミー校長は

「絶対に動いちゃいけない状況なんてありません!」

と一蹴。

オーケストラで仕事をしていると、本番中において、

近所の人がシビアなSoloを演奏してるときや、

首席トランペットがセクションに合図を出しているとき、

オーケストレーションの薄いところでTACETのときや、

コンサートマスターの合図で以て音の処理を見極めるときなどは、

絶対に動いてはいけないような状況だと感じてしまいます。

もちろん、首席奏者でもないのに合図を出したり、絶対的なテンポから外れた動きをしてたら論外です。

しかし、お行儀よくするということや、

良い演奏の為の手垢だらけのルールとしてとか、

まわりに迷惑をかけないようにすることが、

動いてはいけないと過剰に思い込み、

ココロとカラダの硬直に繋がっているとしたら、

結果としてパフォーマンスを損ねてしまいます。


心臓だって動いているし、呼吸だってしています。

演奏中はカラダ全部動かしています。

文字通り「絶対に動いちゃいけない状況なんて無い」んです。

というか不可能です。

私たちは、フォームやポジションを静止画でイメージしがちですが、

実際は動きの中での出来事です。


先日、ベルリンフィルホルン奏者のサラさんと、
ベルリンフィル首席トランペットのガボールさんが対談する生中継で、

ガボールさんによるとても興味深い発言がありました。


発音、息の送り方、ヴォイシング、音のイメージを全て含んで、


THAAA


ということばで表していました。

TA

でも

TH

でも

TAA

でもなく、

THAAA

なんです。

Hが入っている所や、

AAAと続く所なんかが見事に動きを表してると思いませんか?

物事を動きでとらえるという考え方、

ワクワクします!


2014年10月22日水曜日

コカンセツ

椅子に座って、

股関節でお辞儀。

これ、できますか?

何となく腰の辺りから前へ倒れてしまう場合が多いのではないでしょうか?

まずは股関節の位置。

横から見た場合、椅子とおしりが接しているところにある骨のすぐ上。

思ってたよりもだいぶ下にあります。

ここから前へ倒れたり、後ろへ倒れたりできます。

股関節の位置を勘違いしていたり、股関節をロックして、動かないような状態になっている事ってよくありました。

管楽器を演奏するとき、股関節が自由に動けると、とても良いことがあるんです!

それは、息を吐き出すために使う何種類もの筋肉を存分に使えるようになるんです!!

股関節を固めてしまっていると、息を吐き出すために使う筋肉の動きを邪魔してしまいます。

先日のレッスンで、素晴らしいプラン(アイデア)を教えて頂きました。

それは、

「内臓を前、下に。」

そう「思う」事によって、
股関節がゆるみ、

自由に動け、

楽器を演奏してみるとお腹まわりの筋肉がイキイキと働いています。

つられてお尻の筋肉、股の間まで動きが伝わってきます。

邪魔していたものがなくなったので、とっても楽だし、楽しいです。

アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、

『こう「思う」と上手くいくよ』

というのをたくさん教えてもらえます。












2014年10月11日土曜日

アタマ

「頭が動けるように」

「頭が動いて、身体全部がついていって」

「頭と脊椎の関係性をお願いして」

アレクサンダー・テクニークでは、繰り返しこのような言葉が使われます。

頭が動くってどう言うこと?

それは、頭蓋骨の一番下と脊椎の一番上が出会う関節が動くということ。

それってどこにあるの?

耳と耳の間くらい。

知っている人にとってはなんてことないけれど、頭と脊椎が出会う場所ってそんなに上の方にあったんだ!もっと下の方だと思ってた!

ガチガチに緊張しているとき、

ビックリしたとき、

怒鳴られているとき、

満員電車に乗っているとき、

久しぶりに車を運転するとき、

ジェットコースターに乗っているとき、

後ろから誰かに、「危ないっ!!!!」と叫ばれたとき、

怖いとき、

誰かに叱られて、恐縮しているようにみせなければいけないとき、

首の後ろがギュッとなって、頭蓋骨と脊椎の出会う関節が固まり動かなくなります。

このギュッとなるのは脳ミソや身体を衝撃から守るための大切な働きです。

でも、

楽器を演奏するときや、

歌を歌うとき、

スピーチするときや、

演ずるとき、

ギュッとなる必要は無さそうです。

人は無意識のうちにギュッとなります。



頭と脊椎の出会う関節が固まっていると、身体全体が動きづらくなる。

頭の動きが身体全体のあらゆる側面に大きく影響している。




これを発見したのがアレクサンダーさん。

「頭が動けるように」

「頭が動いて、身体全部がついていって」

「頭と脊椎の関係性をお願いして」

だから、アレクサンダー・テクニークでは、繰り返しこのような言葉が使われます。